2007年04月27日

グルが眉間に宿る

 何処からともなく一陣の風が吹いてきた。また巫山の左腕に痺れがつーと走った。アンマとバガヴァンのお出ましだ。
 いつだってお出でになるときは左腕が痺れ、胸のあたりが重くなってピクリピクリと痙攣するものだ。
  「アンマ、バガヴァン、左腕の痺れを今すぐ取ってください」
  いつも彼らにお願いすればすぐに飛んできて症状を取ってくれるのになぜかこればかりはだめだった。
 巫山は仕方なく聞きかじりの整体知識を動員して膏肓を刺戟したり、頸椎の神経圧迫をとったり、腕神経叢をいじくり回したり、胸椎を開いてみたりして「頸肩腕症候群」を治そうとしたが、治る様子は全然なかった。
 しばらくすると、痺れはやんで、眉間にアンマとバガヴァンが坐しているのが見える。
 「意識が高まるとグルが眉間に宿るようになる」、ヨガの本にはそう書いてある。自己修行では眉間が赤く腫れ陥没しただけで、グルが眉間に宿るようなことは一度もなかった。
 頭頂に意識を転ずると、同じように坐しており、なんと頭頂から爪先まで全身至るところにアンマとバガヴァンのシュルムリティがフジツボのようにびっしりと張り付いているではないか。さながら全身シュルムリティの入れ墨だ。
 「絶対に消えませんように」、合掌の手に思わず力が入る。如意宝珠をしっかり抱きかかえるが如く全身全霊をこめて祈る。
 ダサジーアガスティヤル「グループで輪になって相互にディクシャをしてください」
 一〇人ほどで相互ディクシャが始まった。何人目かに巫山の頭に手が載った。すると全身のシュルムリティは跡形もなく消えてしまった。どこを探してもいないのだ。「なぜなんだ?シャワーも控えようと思っていたのに」黄梁一炊の夢か、巫山はどーと落ち込んだ。
 アンマとバガヴァンが七つのチャクラにお坐りになっておられたのは、帰国後わずか半年ぐらいである。今では巫山の眉間も頭頂もすっかり゛肉″が抜け落ちてしまっていて、誰も坐る場所がない。
 さらに巫山はこんな体験もした。ワラディクシャの後ことであった。突然、アンマとバガヴァンが祭壇のどでかいパネルをバーンと蹴破ってパネルの大きさのまま身体に飛び込んで来た。その有様はまさに修験道そのものだ。巫山が役行者を選択することを知ってか、対象者の意識とパラレルになってエネルギーがやって来る。そしてパネルには誰もいなくなった。


 修験道では宮司が祝詞を上げるが如く『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』を唱える。
 護摩の皐月に塩が振られると、天井を焦がすかのように一際大きな炎が立ち昇る。ぶおっと釜が鳴り響く。炊きたての米の何とも言えない匂いが鼻腔をつつく。袈裟が激しく揺れ印が次々と組まれる。腹腔からぎゅっと絞り出すかのようにマントラが唱えられ、それらが渾然一体となって倍音のように見ている者の腹底に響く。
 観自在菩薩  行深般若波羅蜜多時  照見五蘊皆空 度一切苦厄
 羯諦 羯諦 波羅羯諦  波羅僧羯諦  菩提薩婆訶  般若心経 

posted by 巫山 at 09:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説ディクシャ
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