2007年04月24日

ガネーシャが歩いている

 インド到着の翌日十二月五日、マハー・ガナパティホーマーがサティアローカ・で始まった。悟りの障害を取り除く儀式である。炉の周囲は煉瓦で囲まれ、ボディに何やら赤くヤントラ? が描かれた二個のココナツが、ベベを着せられて坐している。供物が捧げられダサジーによってマントラが殷々と詠唱される。ちらちらと燃えていた枝木にギーが注がれると、火は一挙に大きく燃え上がる。火はすべての神と願い事の仲介者だ。鳥が羽根をばたつかせ、キーッと甲高く鳴き叫び、呼応するが如くざわっと音を立てて周囲の樹木が反り返る。「毎朝のムーラ・マントラに雀が五月蠅く鳴いていたな----」。
 やがて周囲がうそのように静まりかえると、小さなガネーシャが隊列を組んで蟻のようにゾロゾロ歩いている。巫山は何度も目を擦った。しかし、ガネーシャは視界から消えることはなかった。こうしてインドでの長い一日は始まった。
 何回かのホーマーの後、十二月九日に待ちに待った第一回目のディクシャがやって来た。
 「真実の自分を見つめる、ありのままの自分を体験する」というのがテーマだった。ディクシャの前の講義中に幽体離脱? し、天井に目ん玉が飛んでじっと下界を見下ろしていた。肉体は咆吼する陰獣と化して、己自身は名前のみになっていた。
 かつて「私は誰か」という瞑想を何回か試みたことがあった。そのとき、肉体と意識の明らかな分離感が生じるのを感じたが、今回のように天井に目ん玉が飛ぶような体験はなかった。やがて来たるべき体験の予感を孕んでいたのだろうか。
 ディクシャ後、巫山は何も体験がなかった。マインドが鬼火のように立ちのぼり、ぱあっと点火される。
 「二十一日間何も体験がないかも知れないが、仕方がないや。自分はこのダルマ、内を見ることに向いていないからなあ」
 「理由があってのことだろう、まあ、気長に待つより他はないな」。言葉とは裏腹に巫山は焦心していた。

posted by 巫山 at 10:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説ディクシャ
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