2007年04月18日

薬師仏がやって来た

おん ころころ せんだり まとうぎ そーわか。

願我來世得阿耨多羅三藐三菩提時。
自身光明熾然。
照曜無量無數無邊世界。
以三十二大丈夫相八十隨好莊嚴其身。
令一切有情如我無異(藥師琉璃光如來本願功徳經)。


薬師仏1


 テントの中では八〇余人の受講生たちが最後のディクシャをいまか今かと待ち望んでいた。
 インドへ着いたばかりの時はあと何日あるのかと指折り数えていたものだ。
 「それでは、ディクシャを始める前にもう一度おさらいします」ダーサジーミナクシーは分厚い眼鏡越しに一同を一瞥し透き通る声で言った。
 「みなさんも宇宙もすべてプロセスだということは理解できましたね。みなさんはエンプテイ(空)であり、マヤ(幻影)であり、イリュージョン(錯覚)なのです。宇宙もまたエンプティであり、マヤであり、イリュージョンです。宇宙は神の愛、ヴィシュヌマヤともいわれております。みなさん、エンプテイになりましたか。準備はできておりますね。みなさんは六回目のディクシャでそのことを体験されましたね」
 念を押すように最後の「体験されましたね」という言葉を強調しながらダーサジーは、眼鏡を外し額を拭った。巫山はそのディクシャのあと不覚にも寝てしまったのだ。何も覚えていない。気持ちよく寝てしまったのだ。起きてからすぐは大いに悔やんだが、やがて「どうせ自分にはこの手のことには向いていないのだ」と半ばあきらめの気持ちがやってきた。
 マインドがまた饒舌になってきた。「それ見たことか言わないこっちゃない。お前はそういうことにはからっきしダメなんだ。何年精神世界をやってきたんだ。結果はメンタル・ブロックが増大したばかりではないか。未だにアストラル体すら見えないのじゃないか。すぐ東京へ帰って次の本でも出した方がいいぞ」

 巫山にも酒を断って修行した時期もあった。アジュナー・チャクラを開くため、夜毎眉間に意識を集中しそこで完全呼吸法をやって真っ赤に腫らしたこともあった。額から頭部にかけてだんだんと膨張し、肉体のラインが消えていった。呼吸を遠くに飛ばすたびに腫れが強くなっていった。腫れがひくと小さな穴ができた。
 「よしー、アストラル界を見てやるぞ」とピッタリと瞼を閉じるが、一向にアストラル波動は映らない。依然として松果体はご健在だ。幾度となくトライしたが、結果はいつも同じだった。世人と同じように睡眠時のみアストラル界に透入できるのだった。

 第一次黄金時代、人間は第三の眼、THIRD EYEで世界を見ていた。つまり事象の本質を、物質世界をちょうど操り人形のように自在に操っている【モノ】を見ていたのだ。
 花火大会のショウごとく噴火していた火山が休止し、流れ出た溶岩が冷えて地核が固まるとともに、松果体が全身に拡散して肉眼が形成され始めた。やがて雌雄の分離が始まった。こうして第一次黄金時代は終わりを告げ、地球は鉄の時代に突入した。これが今日見る地球の姿である。末法の世である。

 神智学によると、新しい時代にはそれを担う新しい大陸と新しい人種の出現があるといわれている。レミゥリア大陸には第三根人種が、アトランティス大陸には第四根人種が新しい文明を担っていた。このことをアンマとバガヴァンはどう考えているのだろうか。悟りによって新しい人種を創り出す積もりだろうか。しかし、ディクシャをやる側も受ける側も旧来の人間ではないか。さらに新しい大陸はどこなのか、天変地異によって新しい大陸が隆起するのだろうか。雌雄の分離は止揚されて、人間は再び両性具有者になるのだろうか。アンマとバガヴァンという夫婦のアヴァターがその象徴なのだろうか。古来、アヴァターは単体(一人)で顕れるのを常としていた。ラマナもそうであったし、仏陀もイエスもまた然りである。こうして概念がまたとどめもなく流れ出した。

 講義が続いている。
 「悟りとは苦しみからの解放です。苦しみは心のあれこれの状態ではありません。瞑想状態だから、行を積んだからといって苦しみがなくなるわけではありません。自分が在るから苦しみがあるのです。苦しみの原因はあなたに他ならないのです。あなたが苦しみなのです。みなさんの周りで『わたしは光だ』と得意げに触れ回っている人たちをよく見かけませんか。わたしはこう言ってやります。『光ですって、冗談は言わないでください。あなたは肥溜めであり、汚物そのものです。汚物を性懲りもなくあとからあとから振りまいているだけです』と。
 みなさんという存在が悟るわけではありません。悟りとはみなさんが完全になくなることです」
 そしてこのことは
「『わたしの体はわたしの体ではありません』
 『私の考えは私の考えではありません』
 『私というものはありません』という三つのテーゼに集約されます」 

 いよいよその締め括りがやって来た。
 「これから高次の存在者、ハイアー・ビーイングの降臨のためのディクシャをチャクラ・ディアーナの後行いますが、みなさんが日頃親しんでいる神様を選んで下さい。降臨したらみなさんがそれに溶解して導いてくれるよう、アンマとバガヴァンに祈って下さい」
 「人はサーダナや瞑想で悟るを得ることはできません。神を発見することもできません。悟りとは与えられるものです。神の恩寵のみがそれを可能にします。みなさんの側ではなにもできませんし、なにもすることはありません。ただひたすら頭を差し出すだけです。
 ラマナにはアルナーチャラ、つまりシヴア神が降臨しました。クリシュナムリティにはマイトレーヤが降臨しました。ただし半分ですが。彼らは降臨してから神について、悟りについて語り始めました。その逆ではありません。また自分でそうなったわけではありません」
 「ええと、それからカルキにはシヴア神とビシュヌ神が降臨しています」
 ダーサジーミナクシーは一気にしゃべった。
 ティルヴァンナーマライの街が巫山の脳裏に浮かんだ。そういえば、初めてインドに足を踏み込んだのはラマナ協会のツアーであった。それから何度も渡印し、よくチェンナイのエグモール駅近くの安宿に投宿したが、なぜかいつも南インドで旅は終わっている。今なお北インドは未踏の地である。
 ラマナアシュラムに参拝すると、無料の食事券が二枚、朝食と夕食の分が配布されたものだった。巫山は後ろに人の気配を感じてひょいと振り返ると、インド人の子供の大きな黒眼があった。食券をじっと穴の空くほど眺めている。
 「ハハーン、あの子は朝から何も喰っていないのか」
 食券を二枚渡すと、ニッコとして駆けて行った。当時はアシュラムの周りには乞食がゴロゴロしていた。アシュラムの飯のメシのうまかったこと、定石通りバナナの葉っぱの上に乗っかっていたな。バケツからスープも注いでもらった。アルナーチャラに登った日のこと、ニセ行者にルピーをふんだくられたこと、柳田先生にガイドされてアルナーチャラを一周したことなどが想い出された。先生は三年前、アルナーチャラに逝かれた。膵臓癌であった。京都・嵯峨野のご自宅にお亡くなりになる一年前に伺った時の情景が今なお頭にこびり付いている。退院されたばかりで病衣を纏われいた。
 アルナーチャラは、緑化運動のせいで似て非なる姿に成ってしまっている。しかし、裏山は健在である。樹木の疎らな浅間高原が額縁に入っているようだった。のんびりと牛が葉を噛んでいた。

 昨夜、巫山の左胸に白くチカッと光る小さな蛍のような物体が二つ入った。
 巫山は「降臨する」との言葉にとらわれ、意識を上方にあげてひたすら待っていたが、待てど暮らせど高次の存在者は一向に降りてこない。何度もアンマとバガヴァンに懇願したが、依然として高次の存在者の降下はない。
 「本当に降りてくるかね」
 「自分はそういうことからいつも疎外されているんだ」
 巫山の自虐意識が頭を持ち上げる。
 そんなマインドの葛藤に悩みながらも、巫山はふと「ハートに降下する」ということを思い出した。意識を胸部に集中すると、なんと白く光る小さな二つの物体が、まるで蛍のような小さな物体が見えるではないか。だが、巫山はそこでまたも概念にとらわれる。
 「彼らは具体的な姿形をとって降下するに違いない」と。よほどメンタル・ブロックが強いらしい。
 それらが高次の存在者であるか否か、アンマとバガヴァンに何回も何回も借問するが、運とも寸とも答えてくれない。
 「また体験がないや」
 いつものようにマインドが騒ぎ出す。
 「みなさん、どんな神様を選びましたか、降臨しましたか、素晴らしいですね、体験を話してください」
 ダーサジーアガスティヤルのタミル語をナンディ氏がインド人特有のアクセントのある日本語で通訳する。
 巫山に体験をしゃべる順番が最後に回ってきた。
 「わたしは薬師仏と役行者を選びましたが、体験がありません。なんか白くチカッと光る小さな蛍みたいなものが胸に入っていますが」
 「それが高次の存在者です。蛍ではないです。高次の存在者の姿は誰も知りません。本に載っているのはウソです」
 巫山の顔がぱっとほころびる。さっきの投げやりの態度は何処吹く風だ。
 「オーム、サッーチナンダ、パラアートマー、シュリヴァガバティ、サメーター----」 アンマとバガヴァンにお祈りを捧げる。
 「それでは簡単な瞑想を行います。からだを動かさないでください」
 ひと夜明けて、胸中の二つの物体がどんどん大きくなって膨らんでいく。まるで湯たんぽが入っているようだ。やがて、大きな天道虫のように膨張した。
 「はい、ゆっくりと目を開けてください。それではチャクラ・ディアーナを今から始めます」
 「ランーん、ランーん、ハンーん、アーオウームー----、オーゴン、サッチャム、オォームー----」
 「七つのチャクラに意識を集中してください。金色の蛇が螺旋を描いて上がるのをイメージしてください」

「結節を破砕しなくてもクンダリニーは上がるのかな」昔ヨガで習ったことが頭をよぎる。
 チャクラ・ディアーナが三〇分ほどで終わる。
  巫山の胸部に巨大な脚がに出現して胸からはみ出る。意識がぐるぐると廻る。
  「シャヴァ・アーサナで休んでください。ガイドが順番にディクシャの所に連れて行きますから」

 ウフフ、ワッハッハ、オホホ,キキキ、笑い声と奇妙な叫び声が交差する。ディクシャが始まった。
 首をかかれるかの如く一度に十数人の頭がとズラッと差し出されている。エネルギーを満タンにされたダーサジーたちがそれらの頭に順次手を置き手際よく捌いてゆく。
 シャルマン、シャルマン---とバックグランドがシャヴァ・アーサナを撫でていく。 

 ディクシャ後、巨大な脚が消え、突如薄いヴェールのような雲に乗って薬師仏が、胸部の周りをグルグルと廻周しながらラジコンの飛行機のように幾度ともなく飛来した。しばし、驚愕の想いにとらわれ、意識を研ぎ澄ましてじっと見やっていたが、消えたら最後、との想いが過ぎり、急いですうっと胸中に招き入れた。それから長い時間(たぶん五分ぐらい)が経ち、眼前に大きな筆箱が出現した。バカッと口が開いたかと思うと、茶色の丸薬がだだっと落下し、両手にそれを握っていた。
 試しに丸薬を口に入れようとしたが、なかなか入らず右横に流れてしまい、長方形の箱のような筒状の物が現れ、それに入っていった。そして手の平の丸薬が跡形もなく消えてしまっていた。
 二〇〇四年十二月二十一日、インドでの夜半のことであった。こうして巫山の探求の旅は終わった。

posted by 巫山 at 10:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説ディクシャ
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