2007年04月17日

悟りまであと六カ月かかります(バガヴァン) 

五感の解放

 バガヴァンsay「悟りとは五感の解放です。あなたがたは見ていないのです。見ている振りをしているだけです。
 見ていれば、日常の些細な出来事にも歓びが湧き上がってきます」。
  ムーラ・マントラを詠唱えているときでさえ、他の諸々の雑事が、想念が沸々と湧きだして来る。努めてからだを前後に揺すりながら詠唱するようにしている。「悟りは山の彼方の空遠く」、溜息がふうっと義歯の間から漏れる。巫山の朝のお務めの情景である。
 巫山の歯は、歯槽膿漏のために半分成仏してしまっている。歯に恐ろしいカルマがやって来たのだ。
 人の顔を見るよりつい歯に眼がいっていまう悪しき習性がいつ頃からついたのであろうか。ダルシャンでもついバガヴァンの歯に目がいってしまう。バガヴァンの歯を見て一安心したことを想い出す。
 不埒にも「バガヴァン、今すぐ歯を生やして下さい」とワラディクシャで叫んでしまった。
 巫山「OKだったら右手を挙げて下さい」
 バガヴァンがすかさず右手を挙げる。
 巫山「OKだったら明るい光を送って下さい」
 明るい光が直ぐさまやって来た。
 だが、巫山の歯は今も元通りのままで、何も変わっていない。  

 バガヴァンから最後のダルシャンでコメントをもらう。
 巫山「からだの中は空(エンプテイ)ですが、頭だけが残っている感じがします」
 バガヴァン「悟りまであと六カ月かかります」

四輪駆動の横転

 巫山の運転する四輪駆動が道路標識に激突して横転したのは、帰国して間もない2005年元旦の夜中二時頃、真鶴道路あるカーヴであった。毎年恒例の来宮神社参拝の帰りであった。この日の午後、横浜で用を済まし、国道一号線に出ようとすると、何者かが妨害しているかのように、なぜか横浜からなかなか抜け出られず、車は何回となく山下公園辺りをグルグル廻わっていた。助手席の木内は「また呪詛が来て胸が詰まって気分が悪い」と言ってずっと眼をつぶっている。
 何年か前、或る出来事を知ってから頻繁に呪詛が飛んで来るようになった。呪詛は心臓をめがけて狙撃兵の如く正確に飛んで来る。今も巫山の頭に呪詛の忌まわしい日々がクッキリとこびり付いている。何度呪詛返しのマントラを唱えたことか、今思えば何と詰まらぬことをやっていたのかと後悔が先に立つが、その当時は防戦に大わらわであった。「人を呪えば穴二つ」、この世界には悪徳の花が零れんばかりに横溢している。アトランティスの黒き顔の主オドゥアルパ(Oduarpa)は、あなたの隣に転生しているかもしれない。
 車はようやくにして横浜を抜け出し国道一号線に乗って、西湘バイパスをから135号線を下り、熱海の街を抜けガードを潜ると来宮神社が指間に見えてくる。大晦日の参拝をすまし、大楠を右周りに廻ってお神籤を引く。いつも大吉だ。大吉は大凶に通ず。大極図である。

 巫山の意識が一瞬途絶えた。こんなことはかつて一度もなかった。人為的なものなのか、プロセスなのか、気が付いたら天と地が逆さまになっていた。エンジンから白い煙が吹き出し、窓ガラスの破片で手が血に染まっている。しかし、シートベルトは外れることなく、眼鏡も落ちずにそのままである。バガヴァンのテープが勢いよく鳴っている。一生懸命下方を見廻して出口を探したがなかなか見つからない。それもそのはずである、横転して天と地が逆さまなのだ。木内が大声で助けを呼んでいる。何台か車が停まった。ようやく後部のハッチが開いていることに気づき、そこから脱出する。寒気と事故のせいでからだがブルブル震える。誰かが熱い缶コーヒーを買ってきてくれた。少したってパトカーと救急車がやって来た。血止めの包帯を手掌に巻かれて救急車に坐る。車内から運転席を見ると赤いランプがグルグルと回っている。小田原の××救急病院の当直医は、手掌に刺さったガラスの破片をざっと抜き取り、アルコールで消毒し、頭部と胸部のレントゲン写真を撮った。何処も打撲や骨折の異常はなかった。治療が終えると、待ちかまえていた神奈川県警による調書づくりが始まった。
 小田原署員「なぜ道路標識にぶつかったのですか」
 巫山「道路が凍結していて車がスリップしたんです」
 実際、その日は寒気が強く、高速道路は凍て付き軒並み通行止めになっていた。「意識が一瞬途絶えました」と言っても信用されないのがオチである。
 巫山は左手掌の掠り傷、木内は胸を少し打っただけで大した怪我もなく助かった。バガヴァンの恩寵であった。むろん車はおシャカである。
 タクシーを呼んで小田原駅に行き、急行に乗る。座間あたりから薄い雲のヴェールが黄色に染まり、橙色の太陽が少しずつ雲から顔を出す。車窓から二人して何とはなしに眺めていた。二〇〇五年元日の日の出であった。
 カルマ落としが終わったとそのとき思ったが、今ではワラディクシャだったと、何とはなしに巫山は感じている。

posted by 巫山 at 10:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説ディクシャ
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