2007年04月12日

バヴァガバンの恩寵

 「あなた方に恩寵があります」とバガヴァンが仰っていますと、ダーサジーアガスティヤルがあたかも預言者のごとく訓れた。「ああ、日本に帰ってから恩寵があるんだ」と、誰もがそう思った。
 こうして二〇〇四年十二月のエンライトメント二十一日間のコースが終わった。予定されていたチェンナイ観光はなぜかなかった。
 チェンナイ空港を定刻通り夜中の十一時に発ったマレーシア航空は、遅れることなくクアランプール空港に着いたが、成田行きは機体整備のためという理由で五時間以上も足止めを喰らった。「スマトラ沖地震・津波」の惨劇が忍び寄っていたのである。二十五日の夜中一〇時に成田空港に到着し、足がないのでそのまま空港会社の手配のホテルに一泊することになった。惨劇はスマトラから南インドへと広範囲にわたって広がっていた。
 その日、「岡島ヨガ」の知人はスリランカで津波に呑まれて探求の旅にピリオドを打たされた。彼女は異国の海で何を見たのであろうか。深い安堵感に包まれたのであろうか。半月ほどたってご遺体が帰ってきた。水膨れもなく顔はきれいだったと、ご家族が法要の席でぽつりと言った。
 「本当は行きたくなかったんですよ、お袋は、ずっと原因不明の病気で頭が痛い痛いと言っていましたから。参加者が少ないからどうしても、ということで参加したんです。それに間際になってスーツケースの鍵をなくしてどうしようかと思い悩んでいたんです」。

 ほどなく実行委員会ができ、四月五日「スマトラ沖地震・津波百日鎮魂祭」が豊島区民センターで催された。思ったよりたくさんの方々が参集して下さった。数知れぬ死者の魂が大わだつみに浮かんでいる。どうすれば死者とのワンネスが可能なのか、鎮魂の舞踊とともにディクシャを試みた。これが巫山にとって初めてのディクシャであった。

 五月に入り、ディクシャの杜という名でディクシャが始まった。二度目かのディクシャであった。受講者の女性から「微熱を伴った下痢が一〇日以上も続いていて買い物も何もできないのです。これでも浄化ですか」という苦情の電話があった。巫山は慌てた。木内は逃げている。いつだって彼女は逃げるのが得意だ。
 「明日の朝一〇時に来て下さい、ケアをしますから」と言って電話を切った。
 「一体何をどうすればいいのか、バガヴァンがやったことではないか」巫山の禅問答は一日中続く。
 翌朝「バガヴァン、プロセスの進行を緩めて下さい」とブツブツ言いながら、お腹に手を当てたり下痢止めのツボなどを押圧した。
 「すっかり治りました」と翌日電話があった。巫山はほっとしたが、反面そんなものなのかなあ、と思った。

posted by 巫山 at 10:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説ディクシャ
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