2007年04月11日

マンゴーの木の下で

 木内「席を取っておくからもらってきて、それからマンゴーも忘れないでね」
 いつものとおり、お粥を主体にミルク、ドーサ、幾種類かのサンバルをステンレスの皿に盛ってマンゴーの木の下で食する。遅い夕食である。マンゴーの木の葉がカサカサと風に鳴り二、三枚ヒラヒラとテーブルの上に落ちてくる。
 何処からもなく「ねえ、どうだった、体験あった?」「全然ないの、どうしようかしら」
 「なんたってご飯だけが楽しみよね」
 ため息に似た呟きが夜半の風に乗って流れてくる。
 「沈黙してください」
 食堂のドアの貼り紙が剥がれそうになってパタパタと風に煽られている。

 「おっとマンゴーを忘れた」、巫山は急いでキッチンから三ついただいてくる。小ぶりのマンゴーだ。一〇〇本近くのマンゴーの木が林立するここワンネス・ユニヴァーシティは、季節になると、たくさんのマンゴーの実がぶら下がってマンゴー畑に様変わりする。壮観そのものだ。
 マンゴーの木にじっと耳を当てると、人々の哀感がどーっという幹の貫流の音に混じって幽かに聞こえてくる。哀切がマンゴーを夕陽のように赤く染め上げる。
 マラーヤラム文学の旗手・ヴァイコム・M・バシールの短編『幼なじみ』の情景が浮かんでくる。
 でっかいマンゴーを探すマージドと木の下で悪態をつきながら収穫を待つスフラの淡い恋物語。そう、マンゴーにはたくさんの人生が詰まっている。

 雨期にもかかわらず、今夜も宝石を鏤めたように星々のイルミネーションが垂れ下がっている。ひときわ光輝を発している南十字星は今宵もまた生者を司っているのであろうか。
 「本当の生者は死者である」。『神智学大要』の何巻だっけ、仲里誠桔先生は今何処に? ふとそんな想いが頭をよぎる。
 マンゴーの木間に蛍の灯が点っている。手に取ると日本の源氏蛍のようだ。

 日本から持参した焼き海苔、粕漬け、梅干しをちょいとお粥に乗せ、サンバルといっしょに喰うのが実にうまい。それからお粥にヨーグルトを乗せて南インド定番のカードライスにして流し込む。
 巫山「ナンディさんとこの朝食のドーサはうまかったなあ。やっぱりチャパテイよりドーサだ」
 木内「そういえばハイウエイ食堂のドーサもおいしかったよね」
 ドーサは周知のように米を発酵させて作る。
 かのインド通のグルジー氏に言わせると、『チャラカ』の時代からドーサがあったそうだ。ドーサが古くからあったということは古くからインドには酒があったということになるし、当然酔っ払いがごまんと徘徊していたことになる、とグルジー氏は宣う。
 「そのうちアーユルヴェーダ研究会でインドの酒を復活させましょうか」

 南インドは米喰う人々である。麦や肉類を食さない。麦喰う人々は森や河川をゼニに換え、農作物、資源を戦争でぶんどって近代資本主義の担い手となった。
 太古、ヨーロッパは不毛な湿地帯であった。豊かなアフリカから追われそこに移り住んだのがいわゆる白人である。そこは麦作にお誂え向きの痩せた土地であった。
 水田の思想はワンネスである。森や河川とそして隣家とワンネスしなければ稲は育たないのだ。

posted by 巫山 at 10:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説ディクシャ
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