2007年04月10日

バガヴァンのダルシャン

「明日はバガヴァンのダルシャンです。正装していくように」
 総勢20人ばかりの日本人たちがそれぞれ装いを凝らして、真新しいクルタに着替えてバガヴァンを待った。砂塵を上げて小型のBMWが近づいてきた。バガヴァンがご到着されたのだ。
 「オーム、サチナンダ、パラアートマー、シュリヴアガバティ、サメーター----」
 マントラが暮れかかる闇を一瞬ぱっと照らし出す。
バガヴァン「あなた方のもっとも大きな望みを一つだけかなえてあげます。一番の望みを紙に書いてください」
 巫山はヒーラーのなり損ないであった。正真正銘のヒーラーに成れなかった悔しい想いを引きずっていた。
 ハリ−・エドワ−ズやマクドナル・ペインの遺影からエネルギーをもらいながら手を幾回もかざしてみたが、肝疾患や急性の消化器系疾患、子宮筋腫などをどうしても取ることができかった。いつも自分の非力に悩んでいた。
 結局の所、物理的治療に走らざるを得ず、経絡治療やキネシオロジー治療に落ち着くのだった。
 難病はアストラル体をコントロールできなければ治せない。大きな障壁が立ちはだかる。
 「治せないのは過去生で殺人鬼であったのでは」
 「アストラル体も見えないやつがどうしてアストラル体をコントロールできるんだ」
 「サード・アイが開かねば何も見えないだろう」
 「さてと、アジュナー・チャクラを開くには」
 こうして自問自答の無間地獄に墜ちてゆくのだった。
 そんなわけで巫山はいの一番ヒーラーと記したのだった。
 バガヴァンは紙片に想いを込めて書かれたみんなの望みを、あのギョロリとした目で見てからじっと黙想した。
 あれから五年の歳月が流れたが、巫山は未だにヒーラーのなり損ないのままでいる。

 アチャリア師「みなさん、何かほかに質問はありませんか」
 木内「カルキの本を出したいのですが、いつ頃がいいのですか」
 バガヴァンは大きな手を出して、指折りをゆっくり数えながら言った。
 「六月以降がいいでしょう」
 『黄金時代の光』はこうして翌年2001年の九月にアチャリア師の来日に合わせて刊行された。
 しかし、アチャリア師は来日できなかった。短期商用ビザが出なかったらしい。
 日本の場合、外国人の入国についてはさまざまな条件をクリアーしなければならない。特に初手は、尚更である。そんなわけで、お台場の会場は急遽、修養会兼出版記念会に様変わりし、巫山が版元として最後に演壇に上がった。
 「本日はお忙しい中、ご来場いただきましてありがとうございます」と、型どおりの挨拶をし、続いて「久し振りに徹夜をしました---。ところで、編集が終わった途端、パソコンが立ち上がらなくなったのです。これは、黒色同胞団が出版を妨害しているわけですが、このような妨害にも関わらす、カルキ・ダルマの運動は、燎原の火のように拡がっていきます」てなことをしゃべったのを想い出す。あの頃は善悪二元論に足をとられていたが、それにしてもそういう事態がよくあったものだ。

 集会も終わり、三々五々みんなと混じって巫山も会場を出た。陽ははまだ明るかった。街は別世界のように人が溢れて動いていた。何年前かサテァローカで、ハローと英語で花に挨拶を交わすと、首を振ってくれた体験を想い出し、試しに傍の花壇の花に挨拶をする。すると、花は頭【こうべ】を下げてくれるではないか。巫山はうれしくなった。「俺もできるんじゃないか」と。ところが、家に帰ってやってみると、花は何の反応もしない。知らん顔をしている。
 「つまりだな、結局の所カルキのエネルギーのお陰という奴さ。要するにお前はできないのだ」
 この頃日本でようやくカルキ・ダルマの運動がボツボツ始まったばかりであった(続く)。

posted by 巫山 at 10:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説ディクシャ
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