2007年08月21日

乳癌を乗せてディクシャは走る/2007年9月

9月3日、またひとり乳癌で逝ってしまった。
2年間にわたるディクシャの甲斐もなく、「まだ死にたくない」と、号泣しながら旅立ってしまった。
「生きていてなんぼ」なのか、胸に迫る。
現代医学を拒否し、激痛に、大量の出血に、苛まれながら、
貴姉は逝ってしまった。元気であった宮古のディクシャが空しく頭を過ぎる。
乳癌を乗せて今日もディクシャは走る。

合掌
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2007年07月21日

夏の夜の夢/2007年8月

ディクシャは、貴下の精神、肉体ともにその存在感を稀薄にしてくれます。ヨガの修練が肉体を稀薄にするように。
私たちがずっと所有してきた、別の言葉で言えば、執着してきた人生の重厚なイメージ、可能性、目標、努力、成功といったもの、また、言うところの今生での私の役割などといったものは日に日に稀薄になっていきます。フワフワと、この世に浮いている感じは、生きながらエーテル体になっていくといってもいいかもしれません。
かつてインドの修養会で「川は流れています。ただそれを見てください」と言われたことを鮮明に思い出します。
ついでに、人間関係を整えることは人間関係をよくすることではありません。人間関係を見ることです。
「あなた方はアンマ、バガヴァンでありアンマ、バガヴァンはあなた方です」(5月のインド平和祭でアンマ、バガヴァンの言明)。

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2007年05月06日

小さい頃の夢が出てきました。

ディクシャを受けてちょっと変わったことがあったので書きます。
まず日曜の夜なんですが寝ていて、小さい頃の夢が出てきました。
自分は野球を中学校時代にやっていたんですが、とてもうまくなくて1年後くらいには部活をさぼるようになりました。それでいつも部員の人や先生に会うのが怖くて顔を合わせると逃げるといった感じだったんですが、その部活に行っている夢で。とても居場所がなくてでもそこからは離れられないという感じの夢でした。
自分はあまり夢を見ないというか覚えてないんですけど、この夢は結構はっきり覚えてます。
夢から覚めてちょっと嫌な感じの夢だったなぁという気分でした。
あと今受けた後の変化ですが、いつもよりも少し冷静というか前よりも動じない感じです。
それと自分以前から自律神経失調症と言われていて全然物事に楽しみや感動が少なかったんですがディクシャを受けてから、妙に笑うというか前には笑わなかったことに笑ったりすることがあって。これも影響でしょうか?
あと普段ですけどいつもよりもとても疲れるというか、とても眠いんですけどこれもディクシャの影響ですか?
最後にディクシャを受けて本当に良かったなぁと思いつつあるところなんですが、できればインドに行って受けるということも考えています。それができないのであれば今後ディクシャを国内で受けたいです。
そのあたりの情報があれば教えて頂けませんでしょうか。
ディクシャありがとうございました(Kさん 男性)。

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2007年05月05日

黄金色の輝きに包まれたような感触

 早朝からのディクシャは初めてでとても心地よく素晴らしい体験でした。
ずっと寝たままでディクシャを受けたのは初めてでしたが、とても心地良かったです。
巫山さんが私の眉間に手をあててディクシャをしていただいた時に目の前がとても明るくなるような感じがし、白い光のベールに包まれたような感じもありました。
 木内さんがディクシャをしていただいた時はめったにないですが、感動した時などに時々後頭部がジーンとすることがあり、
その感触があり、体全体がジーンと震えるような至高体験を久しぶりにしました。
 木内さんが「今日は金のエネルギーが来ていましたね」といわれ、私自身も体がとても心地よくて、黄金色の輝きに包まれたような感触がありましたのでとても嬉しかったです。
 経済的な悩みも多く、金=お金のエネルギー(?)との接触は幸先いいようなラッキーな体験でもありました。
 実は、昨年の7月に大矢さんが書かれたカルキの本を知り貴社へ直接買いに行きました。
 思えば、私のカルキとの出会いは貴社が出版された本から始まりました。
いろいろな講師の方のディクシャをこの1年で短いものも合わせると20数回受けたような気がします。
その中でも今朝のディクシャの体験はトップクラスで素晴らしかったです。
ありがとうございました。これからも宜しくお願いいたします(Sさん 男性)。

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2007年05月04日

自分のエネルギーがアップしていくのがわかります。

 ディクシャを受けると、毎回毎回自分のエネルギーがアップしていくのがわかります。24年前から瞑想を始めているので、ディクシャを受けるとどんどん瞑想が変化してゆくのがわかります。受けるごとに瞑想が深くなり、至福が増してゆきます。
 不思議なことに、友人やいろいろな人に会って楽しくお話していると、自分からエネルギーが出て行って、訳もなく笑ったりはしゃいだりするようになりました。体験をし尽くせば、すべてが至福になるというカルキの教えが少し実感できるようになった気がしています。
 今、癌の治療中で、化学療法を受けているところですが、人から聞いている副作用の辛さからすると、はるかに軽くすんでいるような気がします。4クールが終わったところで、その元気さは信じられないと病気を良く知る友人から驚かれました(Kさん 女性)。

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2007年05月03日

かなりあかるい光を感じました。

・今日で10回目のディクシャ会でした。
 こちらでは、横になってディクシャを受けるという方法をとられていました。
 最初はサムスカーラシュッディ。
 色々苦しかったことや悲しかったことを思い出していました。
 そして、途中で「悲しかったことを思い出させて〜!」とお願いしてみたところ、とたんに体が熱なって、色で表すなら赤黒い感じの光でしょうか、ドカンと出てきました。悲しい思い出。
 それは、母の二度目の手術の後、しばらくして受けた検査の後にかかってきた電話の記憶でした。
 『おかあさん、もう、駄目よ・・・!』そう言ってわっと泣き出した母の声。
 それを思い出すと同時に、涙がぐわっとこみあげてきました。
 悲しくて、悲しくて、悲しくて・・・ボロボロ泣いていました。
 お願いしてこういう何かが出てきたのははじめてでした。

 次はチャクラ瞑想?各チャクラの音を声に出していきながら、クンダリーニを上げていくというもの。チャクラ瞑想をする時にいつも感じるのは、まばゆい光です。
 今回も、後半、目を瞑っていて、かなりあかるい光を感じました。
 外の光が入ってきただけかな、と一瞬思ったりしましたが、どうやらそうではないようでした。
 とにかく明るい(Mさん 女性)。

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2007年05月02日

頭頂部にチリチリ感を感じます

・初めてのディクシャ体験でしたが、横になって、マントラが聞こえてきたときから、頭頂部がチリチリとしてきて、最初のディクシャで、頭からエネルギーが全身駆け巡っているのがわかりました。
 数回目かの時、他の方も体験されてましたが、左胸の辺りにも押されているようなエネルギーを感じました。
 右胸あたりは、朝から締め付けられる感じがあったのですが、それとは別な感覚です。後頭部の右下が頭痛というのかとても圧迫感があり、夜まで続きました。
 今も頭頂部にチリチリ感を感じます。劇的なことはなかったのですが、エネルギーの流れを感じ、マッサージを受けたような心地よい疲れを感じて、気分がリフレッシュしました(Sさん 女性)。

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2007年05月01日

体が熱く感じました。

ディクシャを受けている間中、尾てい骨のあたりから何かエネルギーのようなものが背骨を伝って上がってくるような強烈な感じがあり、体が振るえ続けました。
次第に体が熱くなり、自宅に帰ってからもその熱さは続いていました。
尾てい骨のあたりで蓮の花びらが開くようなイメージがありそれが、背骨を伝って、頭頂に上がっていくのがわかりました。その後に、全身が炎で包まれるような感触があり、まるで不動明王の後背の炎が自分の後ろにもあるように体が熱く感じました。ここまで感じたのは初めてです!(Fさん 男性)
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2006年12月21日

カルキと私/S・K・(神奈川県)(とんぱ6号より)

私は二年前、乳癌になってしまった。それまで、二〇年以上も瞑想、気功、食事療法などを実行し、苦心して試行錯誤していた私は病院治療を到底受け入れることができなかった。三〇年近く前、親しかった人が舌癌であっという間に無残な死に方をしたのも脳裏から消えることがなく、病院で癌は治らないという脅迫的な思いもあった。
何とか自己治癒力で克服できないものかと更なる試行錯誤で、ハーブ、気功治療、エネルギーヒーリング、びわの葉温灸、食事法、高濃度酸素吸入、呼吸法、ホメオパシーなどをやってみた。しかし癌という病気は甘くなかった。一年後には右胸にできた癌がりんご大にまで膨れ上がり、大量の出血と激しい痛みをもたらすようになってしまった。あくまで自分の本来の治癒力を引き出し、完治を目指していた私は見事に挫折、出血多量で意識も朦朧となり、救急車で救急病院に担ぎ込まれる羽目に陥った。
救急車に乗せられる前に朦朧とした頭で、カルキの講師の方に電話をして、カルキにこの苦境を切り抜けられるよう祈願と遠隔ヒーリングをお願いした。
選択の余地もなく、担ぎ込まれたその日の当番の救急病院に私は入院した。主治医はにこにこしていて、何を言っても大丈夫、というような不思議な雰囲気をもっていた。私は大の病院嫌いだったが、少しほっとしたのを覚えている。出血多量で意識も朦朧として、病院に入ってすぐはどんな治療をしてもらったのかよく覚えていない。主治医が病室に来て、ベッドの側にしゃがんで私と目の高さを合わせて、どうしてこんなになるまでほうっておいたのか理由を尋ねた。また、付き添いで来てくれた母や兄と話す中で、「私も二十五歳の妹を卵巣癌で亡くしました。その頃私は医者ではありませんでしたが」というのが聞こえたのも印象深かった。
入院してからは、大嫌いな薬と検査のてんこ盛り、血液も不足していて輸血しなければならなかった。病院が嫌で避けていたことが、ここへ来て一挙にツケを払わされるはめになった。最初のうちは無駄な抵抗をして、薬は嫌だの、他人の血を入れるのは嫌だの、レントゲンは嫌だのと主治医にごねていた。しかし自分のこの危機的な状況はどうにもならなかった。痛みもひどくて、強力な痛み止めの点滴をお願いせざるをえなかった。痛み止めはすぐに効いて楽になったが、携帯電話の画面を見ようとしたらスロットマシンのように画面がだだだだだっと流れてしまって見えないのでびっくりした。主治医には、痛みのコントロールも大事な治療だ、と言われた。薬はなるべく飲みたくなかったが、主治医からは「一個飲むのも一〇個飲むのも一緒!」などと言われてしまった。造影剤入りのレントゲン検査は、患者の承諾書が必要なのでサインを求められた。これも嫌でたまらなかったが、きちんと検査したほうがいいと友人に説得されて、しぶしぶサインした。主治医は「私がついててあげるから」と言って、レントゲン室に立ち合ってくれた。
私は「救急車で担ぎこまれた緊急の患者」ということでナースステーション脇の特別な病室にいたが、一週間ほどして別の六人部屋に移動した。とりあえず、症状も落ち着いて、これからじっくり検査結果に基づいて治療方針を決めて実行するという感じだった。最初の病室にいたときは主治医が何度もあなたの状態を見に行っていましたよ、あの先生は熱心なんですよ、と後から看護師さんに聞かされた。主治医が診察室からいつの間にかいなくなったと思うと私のところへ行っていたということだった。入院してからわかったことだが、他の先生は一日一回の回診なのに、主治医は必ず二回病棟を回っていた。六人部屋に移ってすぐに、主治医が回診に来ると、なんだか嬉しそうにして、そして私の足の裏をくすぐっていった。…………まったく医者らしくない対応にびっくりしてしまった。病院も医者も嫌いで私には冷たく嫌な先入観しかなかったから、…………。危機的な状況を脱して、主治医もほっとしたのだろうか…………?
私は長いこと健康にはとても苦心していた。病気になる前から、導引術という健康法をやったり、ヨガをやったり、半断食の道場へ行ったり、アーユルヴェーダの処方を受けるためにインド、香港、オーストラリアに行ったり、生食療法にトライしたり、気功をやったりしていた。この私が癌になること自体、受け容れられないことだった。癌になど自分はなるはずがないと固く信じていた。本当の意味での健康は西洋医学では実現できないとも思っていた。その私が乳癌宣告を受けた。…………そして自然治癒への試行錯誤は見事に失敗、救急車で担ぎこまれるはめに陥るとは夢にも思わなかった。今まで努力してきたことは何だったのだろう? 何年にもわたって苦心してきたことが、すべて水泡に帰し、薬と検査づけの入院なんて、気が狂いそうだった。体ががたがたになる抗がん剤を使うくらいなら死んだほうがましだという気持ちさえしていた…………。涙がぼろぼろ出た。どん底だった。 なるべく病院にはいたくなかったので、私は主治医の許可をとりつけては外泊して病院を抜け出していた。あるとき主治医が回診に来て、「外出ばっかりする不良娘だ。病院の規律が乱れる」などと言われてびっくりした。ちゃんと許可を取っているのに、…………! またあるとき、私がベッドの上で瞑想しているところへ回診に来て、何をしてるんだ、と言われたので瞑想してます、と言うと、「オウム」だろう? 核兵器を隠してるんだろう? などと言われてしまった。
また、ベッドの上の棚の中に洋服をしまっているときに回診に現れた主治医は、開口一番、「通信機なんか隠してんじゃないの!」という始末。「また悪いことしてるんじゃないかと思って見に来た」と言いながら回診に来たこともあった。私はホメオパシー療法をやっていたから、病室にもレメディーの瓶(ホメオパシーの薬)を並べていた。肉付きの良すぎる私を見て、「痩せるレメディーはないのか?」と言ったり、私が持っていた退屈しのぎのCDを見ながら、「レメディーを飲もう、という歌が入っているんだろう」などと言ったりした。 思わず私は「ばかにしてる?!」と言い返したが、主治医はホメオパシーなど効かないとまったく信じていなくて、からかっていた。私の横に入院していたおばさんには、私と主治医のやりとりがおかしくて、手術したばかりのおなかが痛いと言われてしまった。出血している胸の処理を回診のときにしてもらっていたが、血が止まっていると「そーれみろ、おとなしくしてると出ないじゃない」、血が出ていると、「エアロビやったんだろ!」と言われた。病院で出される鉄飲料(私は貧血だったので食事に鉄飲料がついていた)があまりおいしくなかったので、飲まずにレジ袋にためこんでいた。それを主治医が見つけて、「何だこれは!?」と鉄飲料をテーブルに全部並べて「飲まなきゃ入院延期!!」と言われてしまった。私は中学生の持ち物検査でもあるまいに、…………と苦笑いしてしまった。
入院してだいぶ日がたって、あるとき回診のときに主治医は私が入院したときのことを話した。血だらけでどこから血が出ているのかわからなかった、切腹でもしたのかと思ったなどと言われた。おかしくてたまらない、といった感じで、「体中におむつして!忘れようにも忘れられない」とも言われてしまった。私は入院する前は、出血していた胸の処置をすべて自分でやっていた。出血がひどくなって、ガーゼを束ねたくらいではとても対応し切れず、尿取りパットを使っていた。大量の血が出てもこれなら対応できたので、これはちょうどいいとばかり、胸にはめていた。そのときは処置するのに夢中で何とも思わなかったが、主治医に言われてしまうと自分でもおかしくなってしまった。回診で胸のガーゼを交換したら、「その上からおむつしていいぞ」とも言われてしまった。
病室は六人部屋だったので、主治医が他の患者に応対しているのも聞こえる。他の人にはいたって普通の医者と患者の会話がなされているのに、私のところでまったく違う会話モードになってしまうのだ。噂で主治医はもともとホテルマンだったと聞いた。それがほんとうかどうか、真実はさだかではないが、きっと妹さんを癌で亡くし、一念発起して医者になったのだろう。社会人になってから医学部に入りなおすのはやさしいことではなかっただろう。
一見明るい、ちょっとくだけた医者のような感じがしてしまうが、身内を亡くした深い悲しみの上に今があるのかなあと思うと何ともいえない気持ちになってしまった。私はどうしても、主治医と面していて「医者」という感じがしなくて、調子が狂いっぱなしだった。身内みたいな感じで、ついつい私も患者らしからぬ口をきいてしまった。妹さんがどのような人だったか知らないが、多分に主治医のイメージの中で「私」とだぶっているところがあるのではないかという気がしてならなかった。
おかしなやりとりをしていたので、どん底だったはずの私もいつの間にか地獄の入院生活をやりすごしていた。そして、こんな主治医と引き合わせたのはカルキではないか、…………?
人生のどんなに辛いことも嬉しいことも、感じつくして体験するだけなのだ、その体験そのものが至福なのだということをカルキが教えているような気がしてならなかった(とんぱ6号体験記より)。

06年12月逝去。合掌。
posted by 巫山 at 11:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 体験談